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お年玉

私の家は親戚が少なく、お年玉の貰える機会が少なかった。かとって両親がくれる金額も多くなく、「全部で3、4万くらい貰えたよ」と学校で話す友人たちがいつも羨ましかった。

 

お年玉自体は社会人になってパッタリ貰えなくなってしまい(当たり前である)、寧ろお年玉をあげる立場となった。それに当たって思い出すことのある。

 

私には3つ子のいとこが居るのだけれども、私が社会人となる前年、彼らに「来年からお年玉をよろしくね」と言われた。そこで圧倒的威厳を示すべく、私はつい「3,000円なんてショボい金額を私があげるわけなかろう。5,000円どころか大枚をはたくことさえ辞さない。期待して待て!」と言ってしまった。

 

それからというものの、大言を吐いた手前金額を引き下げることも叶わず、大した見返りの見込めないお年玉を渡し続ける羽目となった。

 

彼らが早く社会人となることを願うばかりである。今年もどうぞよろしくお願いします。

汝の名は達磨なり

私がまだ小さき毛玉として、そこいらに転がる綿埃と毛頭変わりなき頃、物欲というものがあまり無かった。おそらく自分の好みをちゃあんと把握しきれておらず、世に溢れる物たちの中から何かを選択するという作業ができなかっただけだと今になって思うのだけれども。

 

そういう訳で新年の催しこと初売りに対して、いつもジレンマを抱えていた。店頭には福袋が立ち並び、すれ違う人は皆目当ての物を手中に収め満足気である。ずるい。私も何かを手に入れたい。しかし何が欲しいかが分からない。

 

そんな中無理に福袋を買ったりするものだから変なものを掴まされ、「こんなことなら買うんじゃなかったな」と悔いる。しかし正月の圧倒的めでたさの前では全てが無に帰す。臥薪嘗胆の叶わず、来年も変なものを掴まされる。

 

 そして年月の流れること幾星霜。大きくなった現在の私の物欲はパンパンに膨れ上がり、小さき私を悩ませた忌まわしきジレンマは圧死した。

 

 向かうところ敵なしとなった今年のお正月は、開店前より並んで無印良品の「福缶」を購入し、前々から買おう買おうと思っていたジーンズさえも購入した。

 

時間の流れが解決してくれる問題というのは、割に多い気がする。蛇足だけれども、思い切って購入したジーンズも実はサイズが大きかったみたいで、これも時間が経てば解決するのだろうか?

透明少女

音楽の楽しみ方は多様であり、私は「好きなアーティストが好んでいる音楽を辿っていくこと」が割に好きだ。ある日例によって、とあるアーティストのルーツを辿っていると、NUMBER GIRLというバンドにぶち当たった。

 

フロントマンである向井秀徳の独特な喋り方(This is 向井秀徳 など)や、ヘンテコなメロディに強く惹かれた私は、すぐさま近くのTSUTAYAでベスト・アルバムを借りた。それが丁度大学受験の時期で、受験会場への移動中ずっと聴いていたのをよく覚えている。

 

恋人と一緒にいる間は、私のウォークマンをスピーカーに繋いで音楽を流していることが多い。そこでMUMBER GIRLの「透明少女」が流れた際、恋人は特に反応しなかった。

 

これは後日分かったことなのだけれども、なんと恋人はこの「透明少女」という曲を中学生の時から知っていたらしく、悔しさの少しあった。

 

恋人と私はいわゆる懐メロと呼ばれる曲が好きで、今は小林明子の「恋に落ちて」という曲が流行っている(もしかして私だけかも知れないけれども)。

 

来年も良い音楽を知れるといいなと思う。良いお年をお過ごしくださいね。

夜を過ごすには

学生の時分、幾分か自堕落な生活をしていた。一人暮らしは自分以外に朝起きたり、ごはんを食べたり、歯を磨いたり本を読んだりする者が居ない。したがって生活は己の掌の上にあり、果たしてそれは良くも悪くもである。

 

ある時私は生活を改善するべく、習慣を作ることにした。ある程度のルーティーンができてしまえば、あとは流れに身を任せるだけだ。

 

そこで私が目を付けたのは「おフロ」であった。アルバイトを終えて帰宅すると、どうしてもアイフォーンを触ってしまったり、大事にしまってあったオヤツを食べてしまったりする。そうすると次第に眠りたさのふつふつ募り、その日はおしまいの運びとなる。

 

清潔さ至上主義を標榜する身として、これはタイヘン見逃しがたい愚考だ。QOLもグングン下がる。

 

そうしてできたスローガンが「おフロを制する者は生活を制する」である。かような経緯で清潔さ至上主義おフロ派が爆誕した。

 

その後の生活がうまくいくようになったかどうかはさておき、おフロはその日を採点する上で重要なファクターであると未だに思うのだけれども、皆さんはどうですか。

人間失格

「恥の多い生涯を送ってきました」と綴ったのは太宰だけれども、今回は恥ずかしく思うこと(羞恥心というか)についての話をしたいと思う。

 

いま付き合っている恋人とは随分長いこと一緒に居て、共に生活をする上では概ねの事が恥ずかしくなくなった。寝起きのひどい顔を見られることや、おフロ上がりの変なカッコウで恋人の周りをうろうろすることなど、例を挙げると枚挙に遑がない。

 

しかしそんな中でも、まだ恥ずかしいと感じることのあって、それは「歌をうたうこと」だ。カラオケ屋へ一緒に行き、そこで歌うのは問題ないのだが、如何せん生活の場で歌うとなると恥ずかしい。そのうえ恥ずかしさを悟られまいと振る舞うものだから、歌うメロディは変な箇所で半音上がったり下がったりしてしまう。

 

このような具合だから、恋人は私のことを「音痴である」とか「リズム感がない」とか思い込んでいるきらいがある。困ったことに恋人は歌の上手くてリズム感もあり、かような罵詈雑言にも説得力がある。

 

音痴だなんて、リズム感がないだなんて、そんなことないと思うんだけどな。また何か進展があったら書きます。

グッド・シューズ

私はシンプルな格好がすきで、理由は着回しがきく等いくつかあるのだけれども、それだと如何せん色味がない。オフホワイトかネイビー、たまにカーキがあるくらいだ。

 

靴も似たようなもので、私は革靴よりスニーカーを履くことが多い。ナイキやコンバースの定番のものを何足か持っているが、黒か白ばかりである。黒のスニーカーはどのような格好にも合うし、白のスニーカーは軽さが欲しいときに役立つ。しかし何度も言うが色味はない。繰り返されるモノトーンの嵐。なむなむ。

 

そこで先日「どうもこのままぢゃいかん」と重い腰を上げた私は、新しいスニーカーを買った(ほんとうはZOZOTOWNで注文をしただけです)。

 

さんざ迷った挙句、ニューバランスの996を購入することに決め、色はベージュを選んだ。街中でふと、姿見にベージュのスニーカーが映ると、まだ違和感のある。

 

因みに恋人の反応は、一瞥したのち「ふうん」でした。ひょっとしてあんまり似合ってないのかしらん。

煙草をのむ

幼少の頃より、私の周りで煙草をのむ人は少なかった。父親が一時期吸っていたが、「とある映画で、煙草が原因となって苦しみながら死ぬシーンがあって怖くなった」というよく分からない理由で禁煙したそうだ。

 

そういうわけで私は煙草の匂いに慣れておらず、カラオケ屋や居酒屋帰りの洋服のニオイですら苦手に思う。いつも帰宅即リセッシュと洒落込む(香りが残らないタイプがすきです)。

 

ところがここ数日、玄関付近がやけに煙草臭く、「外で誰かが煙草をのんでいるのかしらん」と考えていた。恋人に「なんだか煙草の匂いがしない?」と聞いてみても、「煙草の匂いなんてしないけど。それよりお弁当箱を洗っておいてよ」と、いつの間にか皿洗いを任される始末。原因は分からず仕舞いであった。任されたからには、やっておかないと叱られるので(水面は穏やかな方が良い)、原因の追求は止めて恋人のお弁当箱を洗うことにした。

 

ダスキンの緑色のスポンジを持って、洗剤を数滴垂らしたのち、お弁当箱を手に取る。くんくん。なんだか煙草の匂いがする。くんくん。なんだろう、恋人のお弁当箱からかな。くんくん。うーむ、やっぱりそうだ。くんくん。煙草臭さのある!

 

出先から帰ってきた恋人に訊ねると、「アルミホイルを敷いたままレンジで温めちゃってさ、でもお肉は炭火焼きのような味がしたよ」とのことであった。

 

皆さんのご家庭でも簡単に本格炭火焼きができますよ。是非試してみてくださいね。