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西海岸のはっぴいえんど

私は音楽が割にすきで、邦楽を中心によく聴く。とりわけ、気に入ったものは恋人に教えたりもするし、それを2人で歌ったりもする。昔から恋人と私の音楽の趣味は結構似ており、教えたものはほぼ気に入ってくれる(だめなものもあるけれど)。

 

読者諸賢はnever young beachというバンドをご存知か?あまり名の知れたバンドではないのだが、幾分魅力的なミュージック・ビデオが多い。なかでも私が好きのは「明るい未来」という曲のミュージック・ビデオで、モデルのKanocoさんが表情豊かで、特にころころ笑うところがステキだ。

 

そこでふと思ったのだけれども、どうやら私には、表情豊かな人への憧れがあるんじゃないかしらん。恋人のステキだと思うところも、表情が豊かで、尚かつどの表情も綺麗であるところだ。

 

私はどちらかというとポーカーフェイスだと言われる事の多い。「サウイフモノ二ワタシハナリタイ」とぷつぷつ思う。

フレンド機能

中学・高校どちらも3年生の時に、よく分からないままに仲の良くなった人が居る。中学3年生の時に仲良くなったAとは今もたまに連絡をとるが、高校3年生の時に仲良くなったTとは殆ど連絡をとらなくなってしまった。

 

前にも書いたけれども、私は高校の受験期に机から離れて「机上の勉強だけではいかん」という詭弁を振りまき、己を騙しながら生活をしていた。では何をしていたかと問われると、よくTと一緒にドトールに行っていた。当時私が通っていた高校はアルバイトが禁止されていたが、Tは家の近くのたこ焼き屋でアルバイトをしており、よくココアを馳走になったものだ。

 

それ以外にも休みの日にTの家へ連れて行かれお笑いのDVDを見せられたり(つまらなかった)、時にはおいしい蕎麦屋へ連れて行って貰ったこともあった。

 

私の人間関係は我ながら特殊である。狭いかと思うと広く、浅いかと思えば深かったりする。いつかまた2人と会うことはあるのだろうか?

いつかティファニーで朝食を

食にはめっぽう疎く、どのくらい疎いかというと、つい最近恋人のお陰で「私はホルモンがすき」ということに気付いたくらい疎い(分かりにくさのある)。それまでは焼肉に行っても、豚であろうと牛であろうと、またどこの部位であろうと「肉」として処理し、「ああ、今日もお肉を食べておなかがいっぱいになったな」となんとなく思っていた。

 

先日、母親から「あなたの食事の考え方は拙い、幼稚だ」と言われたのだけれども、曰く「あなたの場合は『量をたくさん食べたい』という風に『おなか』を満たすことを優先しているけど、どっこいオトナは『おいしいものを食べたい』という風に『こころ』を満たすことを優先するものだよ」ということであった。

 

すこしいいお肉を食べに行った帰りに、おもしろかったので母に言われた話を恋人にしてみたら、「ああ、今日もおなかがいっぱいになったな」と言っていた。私の話などどこ吹く風である。

言葉の捉え方

高校生の時から「頑張って」という言葉が苦手で、人から励まされる時や、逆に自分が他の誰かを励ます時にはいつも頭を悩ませた。仲のあまり良くない友人たちへはスンナリ「頑張ってね」と言えるものの、親密度が高まるにつれて言いづらさは増していく。どうしたものかな。

 

ところが思考を停止し、「もう何も言うまい」とだんまりを決め込んでも評判が悪い。「励ますことすらできないのか」とか「心がつめたい(やはり体温も低いのだろうか?)」だとか叱咤される。だからどうにか激励をと試みるのだけれども、心がこもっていないからぎこちない。兎角に人の世は住みにくい。

 

しかしあれから幾年か経た今、いつのまにか「頑張って」に対する苦手意識を克服していた。言葉の捉え方が変わったのであろうか?

 

この話が示す教訓は「ぷつぷつむつかしいことを言って悩んだとて時間の無駄である」ということです。

謎謎

恋人は特殊なねだり方をするのだけれども、まず「ねえ、良いよと言って」の一点張りで要求をしてくる。相手の出方がどうであれ、その内容を決して明かそうとはしない。そうしていつも世界を欲しいままとす。これはほんとうにタチが悪くて、なんせその内容は伏せたままであり、例えるなら質問をせぬまま回答を得ようとするのと全く同じだ。ちゃんちゃらおかしい!

 

このままではいけないと一念発起した私は、先日この「ちゃんちゃらおかしいおねだり」をしてきた恋人に対して喰い下がった。おねだりの内容をなんとかして聞き出そうとしたのである。

 

「ヒントをください」と私がいうと、恋人は「ふたりの共有物です」と宣った。さらに「それを使って何をしますか はじめの一文字を教えてください」と私が問うと、「ら」と恋人は言った。えーと、ふたりの共有物で、らをする?

 

あれこれと逡巡したものの、サッパリ分からなかったので私は考えることをやめ、答えを乞うた。すこし間を置いて話し始めた恋人は「ウォークマンを貸してほしかったんだ、RADWIMPSの新しいアルバムが聞きたかったから」と内容を教えてくれた。どうやら「ふたりの共有物」というのがウォークマンで、「ら」というのはRADWIMPSを指したものであったらしい。分かるか!

 

恋人とは長いこと一緒に居るけど、未だに底が計り知れないな。また何かあったら書きます。

カメラ・ロールを見渡して

私がまだ小さく、そこいらへんに転がる毛玉との判別もむつかしかった頃の話である。七五三などのタイヘンめでたい日の写真館にて、私はプロのカメラマンが使っていたカメラにひどく興味をもったそうで、「いぢくりたい」と喚いたそうな。

 

そこで親切なカメラマンは、仕事道具である大切なカメラを毛玉である私になんと貸与してくれた。更に私は生意気にも使い方を彼に訊ね、ことさら親切なカメラマンはピントの合わせ方をも教えてくれた。誰もがハラハラとした緊張感を抱き「どうか早く返し給へ」と願う中、当の私はケロッとした顔でピントを合わせることに成功し、オトナたちを驚かせたそうな。

 

因みにこのエピソードは「よし、ここはひとつ箔を付けねば」と意気込んで書いたわけではなく、失われて久しい私の愛らしさを読者諸賢に思い出してもらうべく書いた。

 

閑話休題。私は写真を撮るのがすきだ。一眼レフカメラなど持っておらず、主にアイフォーンのカメラで撮っている。そういえば、この間カメラ・ロールを見返していて思ったのだけれども、最近はあまり写真を撮っていないみたいだ。ネット通販のスクリーン・ショットや、よく分からない画像などが多くを占めている。

 

写真は撮ってたのしく、眺めてうれしい。もっと写真を撮るようにしないとな。

むんと胸を張れること

富だとか名声だとか、いわゆるステイタスと呼ばれるものがある。私はその類への意欲(自己実現欲求とでもいうのかな)が割に低い。誰からも必要とされるひとよりは、自分の好きだと思う少ない数のひとたちから「オモチロイやつだな」と思われるひとになりたい。なんだか負け惜しみみたく聞こえるかも知れないけれど。

 

そんな私でも、憧れたものがひとつだけあった。小学生の時分、私はバスケットボールを習っていて、試合のため遠征に行くことが割に多かった。さて憧れたものは何だったかと問われると、ユニフォームに刺繍された「県名」であった。例えば東京都代表であれば「TOKIO」と、福岡代表であれば「FUKUOKA」という刺繍が背番号の上に入っており、それがたまらなくかっこよかった。

 

しかしその刺繍は各チームの自由意志によって入れられるシロモノではなく、県大会を勝ち抜き、県代表となったチームのみ入れることを許されていた。つまりこの刺繍は「ワタクシたちは全国大会に出場しました」ということを示唆しており、それゆえただならぬ威圧感があった。心なしか選手たちもむんと胸を張っているように見えた。

 

私の所属していたバスケットチームはよくある弱小チームであり、ついぞ刺繍を入れることの叶わなかった。後にも先にもステイタスへの憧憬は、「背番号の上の刺繍」これだけである気がする。